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NUTEC バックグランドストーリー第8弾
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第8弾。 これは、ノンフィクションです。 製品はユーザーの悦びと利益のために。 NUTECのオイルは、国内屈指のオイル卸会社によって販売を行っていただいていることは以前にも記した。 そして、販売のルートもユニークであることを既にご存知の方も多いだろう。 NUTECの製品は量販店では購入出来ない。 多く売ることだけを考えれば、量販店の棚に陳列されることが良いだろうが、鳩谷はそれを許さなかった。 それは、鳩谷の生み出したユニークなオイルの素性を理解した上で正しい知識を有して施工を実行していただけるショップのみに販売して欲しいと考えたからだ。 <体感できる超高性能オイル>を標榜している作品というべきNUTECの製品が正しい形で市場に受け入れられるためにはオーソライズされた<ニューテックショップ>のみで販売していただくシステムを最初から販社に整えてもらったのだ。 ニューテックショップのネットワークを確立させるために、まずは卸会社社の営業マンの講習、トレーニングから開始した。 現在も全国各地で行われる講習会のために鳩谷は飛び回っている。 こう書くと、NUTECの製品は、特殊な扱いが必用なのかと誤解されては困る。 勿論、他社の製品と比較するとオイル成分はとてもユニークで優位性を持っている。しかし、扱いに特別難しさはない。 しかし、理解不足によって持てる性能を最大限に引き出さないことや無駄になってしまうこと。 つまり、ユーザーが快適にクルマやバイクを走らせることが出来ないこと、不利益になってしまうことが鳩谷には許せないのだ。それは、エンジニア気質とでもいうものであろうか。 自己満足で製品開発して終わりでなく、ユーザーの悦びまでを考えた故のことなのだ。 ケミカル製品群の中で一度使えば手放せなくなると好評得ているNC-101 Osmosilを例にする。 この多目的浸透潤滑剤は、オイルと同じく粒子を他社製人に比べて小さくしてある。 浸透性が圧倒的に強いので少量で性能を発揮する。 しかし、それを理解せず、必用以上にスプレーしても無駄なのだ。 少量でも細かな粒子によって深く浸透し、何層にも油膜が形成され、極圧性に富み、潤滑性、防水性、耐摩耗性などが長続きする。 スプレー量を少なく、回数も少なくても性能が発揮される製品なのだ。 限りある資源、ユーザーの利益に至るまで留意して企画、製品設計が行われている。 また、順次オイルのパッケージをエコパック(紙パック)へと変更している。これは、施工後にゴミとして残る缶から燃えるゴミとして処理できるようにした。...
NUTEC バックグランドストーリー第8弾
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第8弾。 これは、ノンフィクションです。 製品はユーザーの悦びと利益のために。 NUTECのオイルは、国内屈指のオイル卸会社によって販売を行っていただいていることは以前にも記した。 そして、販売のルートもユニークであることを既にご存知の方も多いだろう。 NUTECの製品は量販店では購入出来ない。 多く売ることだけを考えれば、量販店の棚に陳列されることが良いだろうが、鳩谷はそれを許さなかった。 それは、鳩谷の生み出したユニークなオイルの素性を理解した上で正しい知識を有して施工を実行していただけるショップのみに販売して欲しいと考えたからだ。 <体感できる超高性能オイル>を標榜している作品というべきNUTECの製品が正しい形で市場に受け入れられるためにはオーソライズされた<ニューテックショップ>のみで販売していただくシステムを最初から販社に整えてもらったのだ。 ニューテックショップのネットワークを確立させるために、まずは卸会社社の営業マンの講習、トレーニングから開始した。 現在も全国各地で行われる講習会のために鳩谷は飛び回っている。 こう書くと、NUTECの製品は、特殊な扱いが必用なのかと誤解されては困る。 勿論、他社の製品と比較するとオイル成分はとてもユニークで優位性を持っている。しかし、扱いに特別難しさはない。 しかし、理解不足によって持てる性能を最大限に引き出さないことや無駄になってしまうこと。 つまり、ユーザーが快適にクルマやバイクを走らせることが出来ないこと、不利益になってしまうことが鳩谷には許せないのだ。それは、エンジニア気質とでもいうものであろうか。 自己満足で製品開発して終わりでなく、ユーザーの悦びまでを考えた故のことなのだ。 ケミカル製品群の中で一度使えば手放せなくなると好評得ているNC-101 Osmosilを例にする。 この多目的浸透潤滑剤は、オイルと同じく粒子を他社製人に比べて小さくしてある。 浸透性が圧倒的に強いので少量で性能を発揮する。 しかし、それを理解せず、必用以上にスプレーしても無駄なのだ。 少量でも細かな粒子によって深く浸透し、何層にも油膜が形成され、極圧性に富み、潤滑性、防水性、耐摩耗性などが長続きする。 スプレー量を少なく、回数も少なくても性能が発揮される製品なのだ。 限りある資源、ユーザーの利益に至るまで留意して企画、製品設計が行われている。 また、順次オイルのパッケージをエコパック(紙パック)へと変更している。これは、施工後にゴミとして残る缶から燃えるゴミとして処理できるようにした。...

NUTEC バックグランドストーリー第7弾
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第7弾。 これは、ノンフィクションです..。 久しぶりのヨーロッパで出会った人、そして・・・ 2013年の6月。鳩谷は久しぶりにヨーロッパへ出張した。 その主な目的はオランダで展開されているMoriwaki 250 Junior Cupを展開するスーパーバイクシリーズの運営・統轄団体であるTen Kateとのスポンサー契約だった。 同シリーズは、ジュニアライダーの育成を目的に設立され、モリワキ・ホンダ250のワンメイクで行われている。 モリワ キエンジニアリングからの要請もあり、運営団体の趣旨に賛同したのだ。 そして実際に自ら足を運んで少年ライダー達が参戦している模様を視察した。 現場を重視する鳩谷だからこその行動だ。 このスポンサリングは、3年間の契約である。 NUTECのプロダクトを供給するや、出場する若きライダーの平均ラップタイムがアップするという結果が出た。 これには、Ten Kateも驚きを隠せなかった。 国内2輪レースシーンにおいてもNUTECは、チームに各製品を供給しているが、その全ては市販製品と寸分違わないもので ある。 Ten Kateのホームページには「NUTECのハイテクオイル、潤滑油と共に若き才能あるライダーを見いだし育成して行きたい」とコメントしている。 オランダ訪問の次に鳩谷は、ある人物と会った。 その人は、鳩谷と対峙して<ハイテクオイル>の開発に尽力してくれた人物。 ワールドステイタスのあらゆるモータースポーツの現場で限界を極めていた当時に唯一、鳩谷の要求に応えて共同開発を受け入れてくれた言わば戦友だ。 一気に何十年も前に時間が戻ったような一時を過ごした。 一緒にELFレーシングデベロップメントでオイルを開発したときの信頼関係は変わらない。 今後も互いが必用としたときには協力し合うことを誓って別れた。...
NUTEC バックグランドストーリー第7弾
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第7弾。 これは、ノンフィクションです..。 久しぶりのヨーロッパで出会った人、そして・・・ 2013年の6月。鳩谷は久しぶりにヨーロッパへ出張した。 その主な目的はオランダで展開されているMoriwaki 250 Junior Cupを展開するスーパーバイクシリーズの運営・統轄団体であるTen Kateとのスポンサー契約だった。 同シリーズは、ジュニアライダーの育成を目的に設立され、モリワキ・ホンダ250のワンメイクで行われている。 モリワ キエンジニアリングからの要請もあり、運営団体の趣旨に賛同したのだ。 そして実際に自ら足を運んで少年ライダー達が参戦している模様を視察した。 現場を重視する鳩谷だからこその行動だ。 このスポンサリングは、3年間の契約である。 NUTECのプロダクトを供給するや、出場する若きライダーの平均ラップタイムがアップするという結果が出た。 これには、Ten Kateも驚きを隠せなかった。 国内2輪レースシーンにおいてもNUTECは、チームに各製品を供給しているが、その全ては市販製品と寸分違わないもので ある。 Ten Kateのホームページには「NUTECのハイテクオイル、潤滑油と共に若き才能あるライダーを見いだし育成して行きたい」とコメントしている。 オランダ訪問の次に鳩谷は、ある人物と会った。 その人は、鳩谷と対峙して<ハイテクオイル>の開発に尽力してくれた人物。 ワールドステイタスのあらゆるモータースポーツの現場で限界を極めていた当時に唯一、鳩谷の要求に応えて共同開発を受け入れてくれた言わば戦友だ。 一気に何十年も前に時間が戻ったような一時を過ごした。 一緒にELFレーシングデベロップメントでオイルを開発したときの信頼関係は変わらない。 今後も互いが必用としたときには協力し合うことを誓って別れた。...

オイルメーカーとしての第一歩 その3
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTEC の生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第6弾。 これは、ノンフィクションです。 オイルメーカーとしての第一歩 その3 オイルメーカーとして歩み始めたNUTEC。 NUTECはメーカーであり、販売をお願いする会社としては国内大手オイル卸会社の力をお借りすることにした。 その販社のスタッフも鳩谷の興したNUTECというオイルの性能に下を巻いた。 しかし、如何に高性能なオイルにしてもエンドユーザーに対しての告知、認知が当然必要だ。 自動車、バイク雑誌に対する広告の出稿というのは当たりまえの方法だが、NUTECは、敢えて広告だけという手法を取らなかった。 それは現在も変わらない。 雑誌社にも実際にオイル交換等の施工を実施し、雑誌記者の目でその優秀性を確認して貰った。 そして、まれにNUTEC製品と比較対象の製品との差が出なかったこと、また比較対象製品の方が数値が良かったことあった。 そのような時であっても鳩谷は「テストの結果を歪曲するようなことはしないで下さい。事実をそのまま紙面に載せて下さい。しかし、どのような状況でテストを行ったかは、しっかりと示して下さい」と雑誌社に伝えた。 幸いにテストではNUTEC製品が良好な数値を示さなかったことは殆どなかった。 また、NUTECのホームページを立ち上げて製品特徴、製品紹介を行うと同時にトップページにQ&Aの項目を設けた。(現在は閉鎖) ユーザーから寄せられた問いに対して一つ一つ鳩谷自身が丁寧に答えた。 エンジンビルダーとして、チューナーとしての豊富な経験と知識。 高性能オイルを求め、開発してきたというキャリアによって、誰にでも判りやすく答えて来た。 この作業を通じて感じた事は、ユーザーは思っていた以上にオイルに対する知識を欲しているということだった。 そして、NUTECの特徴でもあるブレンドを紹介すると、こちらが予想していなかったようなアイデアをお客様から教えられたこともあった。 このQ&Aの作業を通じてエンドユーザーとの情報交換と同時に新たなる製品のアイデアを蓄積していった。 現在もホームページ上には、この作業を始めた当初からのアーカイブがある。 NUTECのQ&Aの特徴としては、一人のエンドユーザーが何度かやり取りをしながら思い思いのNUTECの使い方を編み出しているという点にある。 その最たるものがブレンドだ。 季節毎に、走りの変化を求めるために、車種別にとブレンドの割合が正しいかQ&Aとしてアクセスしてくることが多い。 そこには、オイルを介してご自身のカーライフやバイクライフを楽しんでいることが感じられる。 これによって、NUTECというオイルはオイルという存在を超え、消耗品に留まらず、嗜好品の領域にあることが確認された。 PS.当サイトの運営会社であるNUTECスペシャルショップの(有)GIALLO...
オイルメーカーとしての第一歩 その3
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTEC の生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第6弾。 これは、ノンフィクションです。 オイルメーカーとしての第一歩 その3 オイルメーカーとして歩み始めたNUTEC。 NUTECはメーカーであり、販売をお願いする会社としては国内大手オイル卸会社の力をお借りすることにした。 その販社のスタッフも鳩谷の興したNUTECというオイルの性能に下を巻いた。 しかし、如何に高性能なオイルにしてもエンドユーザーに対しての告知、認知が当然必要だ。 自動車、バイク雑誌に対する広告の出稿というのは当たりまえの方法だが、NUTECは、敢えて広告だけという手法を取らなかった。 それは現在も変わらない。 雑誌社にも実際にオイル交換等の施工を実施し、雑誌記者の目でその優秀性を確認して貰った。 そして、まれにNUTEC製品と比較対象の製品との差が出なかったこと、また比較対象製品の方が数値が良かったことあった。 そのような時であっても鳩谷は「テストの結果を歪曲するようなことはしないで下さい。事実をそのまま紙面に載せて下さい。しかし、どのような状況でテストを行ったかは、しっかりと示して下さい」と雑誌社に伝えた。 幸いにテストではNUTEC製品が良好な数値を示さなかったことは殆どなかった。 また、NUTECのホームページを立ち上げて製品特徴、製品紹介を行うと同時にトップページにQ&Aの項目を設けた。(現在は閉鎖) ユーザーから寄せられた問いに対して一つ一つ鳩谷自身が丁寧に答えた。 エンジンビルダーとして、チューナーとしての豊富な経験と知識。 高性能オイルを求め、開発してきたというキャリアによって、誰にでも判りやすく答えて来た。 この作業を通じて感じた事は、ユーザーは思っていた以上にオイルに対する知識を欲しているということだった。 そして、NUTECの特徴でもあるブレンドを紹介すると、こちらが予想していなかったようなアイデアをお客様から教えられたこともあった。 このQ&Aの作業を通じてエンドユーザーとの情報交換と同時に新たなる製品のアイデアを蓄積していった。 現在もホームページ上には、この作業を始めた当初からのアーカイブがある。 NUTECのQ&Aの特徴としては、一人のエンドユーザーが何度かやり取りをしながら思い思いのNUTECの使い方を編み出しているという点にある。 その最たるものがブレンドだ。 季節毎に、走りの変化を求めるために、車種別にとブレンドの割合が正しいかQ&Aとしてアクセスしてくることが多い。 そこには、オイルを介してご自身のカーライフやバイクライフを楽しんでいることが感じられる。 これによって、NUTECというオイルはオイルという存在を超え、消耗品に留まらず、嗜好品の領域にあることが確認された。 PS.当サイトの運営会社であるNUTECスペシャルショップの(有)GIALLO...

オイルメーカーとしての第一歩 その2
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTEC の生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第5弾。 これは、ノンフィクションです。 オイルメーカーとしての第一歩 その2 NC-80は、施工した方々に絶大な評価を得た。 オイルを構成する粒子を他社の製品に比べて約10分の1にするということで得られるメリットは、現在の自動車に必要な潤滑に画期的なものであったことは間違いない。 実際に施工前と施工後では、馬力&トルクが平均して10%向上する。 使用しているオイルの分量に対して5%から10%添加するだけで効果が得られるのだ。 評価の中で<誰もが成し得なかった>という形容を多くいただいた。 しかし、鳩谷はそれに対して首を横に振る。 「誰もが成し得なかったなどしていない、誰もやらなかったことをやっているだけの話なのです」と。 誰も出来ないことを実現しようとすれば、莫大な投資が必要になり、気の遠くなるような時間もかかる。 一生を捧げてようやく出来るか出来ないか分からないことに鳩谷は挑戦しているわけではなかった。 研究機関が未知のものを探し出しているわけではなく、多くの人達に恩恵が与えられるオイルという製品を供給するために氏が培って来た経験とノウハウからエレメントを組み合わせて一つの製品を創り上げる。 それが鳩谷の流儀であり、だからこそ製品に対して絶対的な自信と責任を持っている。 現在のNUTECのオイルには60年前から存在しているテクノロジーも生かされていて、それが鳩谷の手によって現代のモータリゼーションにマッチしたオイルとして生まれ変わったのである。 NUTECの社名と製品を広めるべく、これまでに多くのメディアの取材を受けてきたが、NUTEC製品のコンセプトを説明するだけでなく、まずは、実際に製品を使っていただくことから始め、取材者が体感した後に投げかけてきた問いに対して、鳩谷はその全てに相手が理解しやすいロジックで即答している。 そして、多くの場合、相手が拍子抜けすることが多かった。 なぜなら実際に使ってみた時の体感の衝撃がその背後に全く新たなテクノロジーと未知のエレメントのような何かが存在するのではないかというイメージを作ってしまい、大きな期待を抱かせたこととのギャップが大きかった。鳩谷はそれらを良い意味で裏切ってきたのだ。 また、鳩谷がオイルに携わるようになって実感したことがある。 それは、オイルメーカーは、エンジン本体のことを知らない、そして、エンジンメーカーはオイルのことを知らないということ。 互いに各々の専門分野の技術を尊重していると言えば聞こえがよいが、他人任せの部分が多いのが現実だ。 エンジンを製作、チューニングすることから始めて、オイルのノウハウを蓄積してきた氏のような人物は希なのだ。
オイルメーカーとしての第一歩 その2
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTEC の生みの親であるNUTEC JAPAN社長の鳩谷和春のバックグランドストーリー第5弾。 これは、ノンフィクションです。 オイルメーカーとしての第一歩 その2 NC-80は、施工した方々に絶大な評価を得た。 オイルを構成する粒子を他社の製品に比べて約10分の1にするということで得られるメリットは、現在の自動車に必要な潤滑に画期的なものであったことは間違いない。 実際に施工前と施工後では、馬力&トルクが平均して10%向上する。 使用しているオイルの分量に対して5%から10%添加するだけで効果が得られるのだ。 評価の中で<誰もが成し得なかった>という形容を多くいただいた。 しかし、鳩谷はそれに対して首を横に振る。 「誰もが成し得なかったなどしていない、誰もやらなかったことをやっているだけの話なのです」と。 誰も出来ないことを実現しようとすれば、莫大な投資が必要になり、気の遠くなるような時間もかかる。 一生を捧げてようやく出来るか出来ないか分からないことに鳩谷は挑戦しているわけではなかった。 研究機関が未知のものを探し出しているわけではなく、多くの人達に恩恵が与えられるオイルという製品を供給するために氏が培って来た経験とノウハウからエレメントを組み合わせて一つの製品を創り上げる。 それが鳩谷の流儀であり、だからこそ製品に対して絶対的な自信と責任を持っている。 現在のNUTECのオイルには60年前から存在しているテクノロジーも生かされていて、それが鳩谷の手によって現代のモータリゼーションにマッチしたオイルとして生まれ変わったのである。 NUTECの社名と製品を広めるべく、これまでに多くのメディアの取材を受けてきたが、NUTEC製品のコンセプトを説明するだけでなく、まずは、実際に製品を使っていただくことから始め、取材者が体感した後に投げかけてきた問いに対して、鳩谷はその全てに相手が理解しやすいロジックで即答している。 そして、多くの場合、相手が拍子抜けすることが多かった。 なぜなら実際に使ってみた時の体感の衝撃がその背後に全く新たなテクノロジーと未知のエレメントのような何かが存在するのではないかというイメージを作ってしまい、大きな期待を抱かせたこととのギャップが大きかった。鳩谷はそれらを良い意味で裏切ってきたのだ。 また、鳩谷がオイルに携わるようになって実感したことがある。 それは、オイルメーカーは、エンジン本体のことを知らない、そして、エンジンメーカーはオイルのことを知らないということ。 互いに各々の専門分野の技術を尊重していると言えば聞こえがよいが、他人任せの部分が多いのが現実だ。 エンジンを製作、チューニングすることから始めて、オイルのノウハウを蓄積してきた氏のような人物は希なのだ。

オイルメーカーとしての第一歩 その1
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親であるNUTEC Japan社長の鳩谷和春のバックグラウンドストリー第4弾。 これは、ノンフィクションです。 オイルメーカーとしての第一歩 その1 1980年代スポーツカーのトップカテゴリー、グループCカー、そしてラリーではサファリラリーの車両に起こるトラブルを解消するべく鳩谷とオイルメーカーの共同開発作業によって、画期的な新世代のオイルを生み出すことが出来た。 それは、従来の鉱物油から化学合成油が主流となるトレンドの大きな転換点だった。 しかし、2000年を目前にして鳩谷は、所属先のトヨタレーシングデベロップメント(TRD)を退社した。 管理職としてデスクワークが多くなるにつれて、現場一筋に生きてきた氏の仕事へのモチベーションが維持できなくなってきたからだ。 1998年に退社後に知人の会社に身を寄せながら一般車のパーツ開発のコンサルディングと製作を始めた。 それまで競技の場に身置いていた時とは大きく生活の環境も変わったが、鳩谷の思いの中には、TRD時代に培ったレーシングオイル開発のノウハウを一般自動車用オイルの開発に用いたらどうなるかを試してみたくなった。 最初は売れる、売れないなど関係なかった。 まず、鳩谷自身が考える最高のオイルを創ったらどうなるかだった。 当然、手がけたのは100%化学合成オイル。 それも、エステル系オイルだ。 細かな説明はせずに試作したオイルを知人の愛車に注入した。 すると「いったい何をエンジンに入れたんですか!」という声が返ってきた。 「オイルですよ。今私が最高と考えるフォーミュレーションのオイルです。」と鳩谷が応えるが早いか「売らせて下さい!こんなオイルこれまでになかった。絶対に売ってみせます。だから売らせて下さい!」と。 しかし、ひとつ問題があった。それは価格だ。 試作オイル製作にかかった経費を算出し、リッターあたりに計算すると約1万5000円近くになった。 どれほど性能が良くとも価格面で競争力があまりにも無い製品を市販してもしょうがない。 知人が悩んでいた顔を見ながら鳩谷が「それでは添加剤として売り出すというのはどうでしょう?」と提案した。 「添加剤ですか?」「そう、添加剤です。このオイルは、これ自体、超高性能オイルなのですが、特殊な製法でオイルの粒子を他製品に比べて10分の1にしてあります。添加すると他のオイルの粒子の隙間に入り込むのです。」 添加するだけでオイルに求められる性能の全てを底上げできる特徴持つオイルそれが後のNC-80である。
オイルメーカーとしての第一歩 その1
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親であるNUTEC Japan社長の鳩谷和春のバックグラウンドストリー第4弾。 これは、ノンフィクションです。 オイルメーカーとしての第一歩 その1 1980年代スポーツカーのトップカテゴリー、グループCカー、そしてラリーではサファリラリーの車両に起こるトラブルを解消するべく鳩谷とオイルメーカーの共同開発作業によって、画期的な新世代のオイルを生み出すことが出来た。 それは、従来の鉱物油から化学合成油が主流となるトレンドの大きな転換点だった。 しかし、2000年を目前にして鳩谷は、所属先のトヨタレーシングデベロップメント(TRD)を退社した。 管理職としてデスクワークが多くなるにつれて、現場一筋に生きてきた氏の仕事へのモチベーションが維持できなくなってきたからだ。 1998年に退社後に知人の会社に身を寄せながら一般車のパーツ開発のコンサルディングと製作を始めた。 それまで競技の場に身置いていた時とは大きく生活の環境も変わったが、鳩谷の思いの中には、TRD時代に培ったレーシングオイル開発のノウハウを一般自動車用オイルの開発に用いたらどうなるかを試してみたくなった。 最初は売れる、売れないなど関係なかった。 まず、鳩谷自身が考える最高のオイルを創ったらどうなるかだった。 当然、手がけたのは100%化学合成オイル。 それも、エステル系オイルだ。 細かな説明はせずに試作したオイルを知人の愛車に注入した。 すると「いったい何をエンジンに入れたんですか!」という声が返ってきた。 「オイルですよ。今私が最高と考えるフォーミュレーションのオイルです。」と鳩谷が応えるが早いか「売らせて下さい!こんなオイルこれまでになかった。絶対に売ってみせます。だから売らせて下さい!」と。 しかし、ひとつ問題があった。それは価格だ。 試作オイル製作にかかった経費を算出し、リッターあたりに計算すると約1万5000円近くになった。 どれほど性能が良くとも価格面で競争力があまりにも無い製品を市販してもしょうがない。 知人が悩んでいた顔を見ながら鳩谷が「それでは添加剤として売り出すというのはどうでしょう?」と提案した。 「添加剤ですか?」「そう、添加剤です。このオイルは、これ自体、超高性能オイルなのですが、特殊な製法でオイルの粒子を他製品に比べて10分の1にしてあります。添加すると他のオイルの粒子の隙間に入り込むのです。」 添加するだけでオイルに求められる性能の全てを底上げできる特徴持つオイルそれが後のNC-80である。

エンジンチューナーがオイルを開発するまで VOL.3
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親のNUTEC Japan社長である鳩谷和春のバックグラウンドストリー第3弾。 これは、ノンフィクションです。 エンジンチューナーがオイルを開発するまで その3 鳩谷がレースとラリーのワールドステータスで活躍する車両の開発責任者として従事していたことは前記した。 より速く、より強く。そして勝つ。 モータースポーツでは、速くとも途中で壊れてしまっては意味がない。 エンジン、そして車両の両方で急速な進化を遂げる中でパワーと、速さが増す毎にそれまでのテクノロジー、ノウハウでは壊れる事は防ぐことは出来なかった。 エンジニアとして日夜、鳩谷はその難問と向き合っていた。 1980年から90年代に入ってマシンに対するストレスは一気に上昇した。 例えば、グループCカーのターボチャージャーの軸受け潤滑油の炭化をどうすれば防ぐことが出来るのか。 ターボのフィンは毎分14万から15万回転し、フィンを回す排気温度は1,100度に達する。 レース中にピットインして30秒から1分程度停止しているとタービンの軸受け周囲のオイルが180度以上に達し、炭化して再度エンジンが始動した途端にタービンがスティックしてブローしてしまう。 ラリーでは、サファリラーでセリカのグループBカーが時速200キロ以上のジャンピングから着地すると走行時の4倍に匹敵するストレスが否応なくギヤ、デフ、ショックをいじめ抜いた。 ターボチャージャーにしても、ギヤにしても、対策を各々の部品供給メーカーに要請したが、先方は最新、つまりその時点での最高の製品を供給してくれていたので、それ以上を望めなかった。 鳩谷の造り出すマシン達はそれらの製品から見れば、限界を超えた耐熱、耐極圧の領域にあったのだ。 そこで、オイルメーカーに要求をぶつけていったが、多くのオイルメーカーが音をあげてしまい、鳩谷の要求に応えられなかった。 しかし、あるオイルメーカーのレース部門のエンジニアが応えてくれたのだ。 だが、最初から鳩谷の要求を100%満たすものは無く共同開発というプロジェクトがスタートする。 それまでの概念を払拭したアイデアを出し合って、次々と新たなオイルを開発し、<マシンが壊れず、速く走れる>究極のオイルが誕生する。 そのオイルメーカーとの約束で鳩谷の開発マシン以外にも供給を許していたので、当時のF1チーム、エンジンメーカーの多くがそのオイルの恩恵を受けていた。 彼らは、そのオイルが鳩谷の尽力によって開発されたという経緯を知る由もない。新オイルの完成は、それまでに比べ20%以上も安全係数が向上している。 これは、画期的な開発結果と言える成果だ。 NUTECのオイルテクノロジーのベースは、そこで培われた。 やがて、NUTECとして最初に上市されたのがエンジンオイル添加剤NC-80だった。
エンジンチューナーがオイルを開発するまで VOL.3
これはあるオイルメーカーのお話しです。 NUTECの生みの親のNUTEC Japan社長である鳩谷和春のバックグラウンドストリー第3弾。 これは、ノンフィクションです。 エンジンチューナーがオイルを開発するまで その3 鳩谷がレースとラリーのワールドステータスで活躍する車両の開発責任者として従事していたことは前記した。 より速く、より強く。そして勝つ。 モータースポーツでは、速くとも途中で壊れてしまっては意味がない。 エンジン、そして車両の両方で急速な進化を遂げる中でパワーと、速さが増す毎にそれまでのテクノロジー、ノウハウでは壊れる事は防ぐことは出来なかった。 エンジニアとして日夜、鳩谷はその難問と向き合っていた。 1980年から90年代に入ってマシンに対するストレスは一気に上昇した。 例えば、グループCカーのターボチャージャーの軸受け潤滑油の炭化をどうすれば防ぐことが出来るのか。 ターボのフィンは毎分14万から15万回転し、フィンを回す排気温度は1,100度に達する。 レース中にピットインして30秒から1分程度停止しているとタービンの軸受け周囲のオイルが180度以上に達し、炭化して再度エンジンが始動した途端にタービンがスティックしてブローしてしまう。 ラリーでは、サファリラーでセリカのグループBカーが時速200キロ以上のジャンピングから着地すると走行時の4倍に匹敵するストレスが否応なくギヤ、デフ、ショックをいじめ抜いた。 ターボチャージャーにしても、ギヤにしても、対策を各々の部品供給メーカーに要請したが、先方は最新、つまりその時点での最高の製品を供給してくれていたので、それ以上を望めなかった。 鳩谷の造り出すマシン達はそれらの製品から見れば、限界を超えた耐熱、耐極圧の領域にあったのだ。 そこで、オイルメーカーに要求をぶつけていったが、多くのオイルメーカーが音をあげてしまい、鳩谷の要求に応えられなかった。 しかし、あるオイルメーカーのレース部門のエンジニアが応えてくれたのだ。 だが、最初から鳩谷の要求を100%満たすものは無く共同開発というプロジェクトがスタートする。 それまでの概念を払拭したアイデアを出し合って、次々と新たなオイルを開発し、<マシンが壊れず、速く走れる>究極のオイルが誕生する。 そのオイルメーカーとの約束で鳩谷の開発マシン以外にも供給を許していたので、当時のF1チーム、エンジンメーカーの多くがそのオイルの恩恵を受けていた。 彼らは、そのオイルが鳩谷の尽力によって開発されたという経緯を知る由もない。新オイルの完成は、それまでに比べ20%以上も安全係数が向上している。 これは、画期的な開発結果と言える成果だ。 NUTECのオイルテクノロジーのベースは、そこで培われた。 やがて、NUTECとして最初に上市されたのがエンジンオイル添加剤NC-80だった。