
エンジンチューナーがオイルを開発するまで VOL.3
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これはあるオイルメーカーのお話しです。
NUTECの生みの親のNUTEC Japan社長である鳩谷和春のバックグラウンドストリー第3弾。
これは、ノンフィクションです。
エンジンチューナーがオイルを開発するまで その3
鳩谷がレースとラリーのワールドステータスで活躍する車両の開発責任者として従事していたことは前記した。
より速く、より強く。そして勝つ。
モータースポーツでは、速くとも途中で壊れてしまっては意味がない。
エンジン、そして車両の両方で急速な進化を遂げる中でパワーと、速さが増す毎にそれまでのテクノロジー、ノウハウでは壊れる事は防ぐことは出来なかった。
エンジニアとして日夜、鳩谷はその難問と向き合っていた。
1980年から90年代に入ってマシンに対するストレスは一気に上昇した。
例えば、グループCカーのターボチャージャーの軸受け潤滑油の炭化をどうすれば防ぐことが出来るのか。
ターボのフィンは毎分14万から15万回転し、フィンを回す排気温度は1,100度に達する。
レース中にピットインして30秒から1分程度停止しているとタービンの軸受け周囲のオイルが180度以上に達し、炭化して再度エンジンが始動した途端にタービンがスティックしてブローしてしまう。
ラリーでは、サファリラーでセリカのグループBカーが時速200キロ以上のジャンピングから着地すると走行時の4倍に匹敵するストレスが否応なくギヤ、デフ、ショックをいじめ抜いた。
ターボチャージャーにしても、ギヤにしても、対策を各々の部品供給メーカーに要請したが、先方は最新、つまりその時点での最高の製品を供給してくれていたので、それ以上を望めなかった。
鳩谷の造り出すマシン達はそれらの製品から見れば、限界を超えた耐熱、耐極圧の領域にあったのだ。
そこで、オイルメーカーに要求をぶつけていったが、多くのオイルメーカーが音をあげてしまい、鳩谷の要求に応えられなかった。
しかし、あるオイルメーカーのレース部門のエンジニアが応えてくれたのだ。

だが、最初から鳩谷の要求を100%満たすものは無く共同開発というプロジェクトがスタートする。
それまでの概念を払拭したアイデアを出し合って、次々と新たなオイルを開発し、<マシンが壊れず、速く走れる>究極のオイルが誕生する。
そのオイルメーカーとの約束で鳩谷の開発マシン以外にも供給を許していたので、当時のF1チーム、エンジンメーカーの多くがそのオイルの恩恵を受けていた。
彼らは、そのオイルが鳩谷の尽力によって開発されたという経緯を知る由もない。新オイルの完成は、それまでに比べ20%以上も安全係数が向上している。
これは、画期的な開発結果と言える成果だ。
NUTECのオイルテクノロジーのベースは、そこで培われた。
やがて、NUTECとして最初に上市されたのがエンジンオイル添加剤NC-80だった。